『聖書と神学』第35号刊行のお知らせ

主の恵みと平和がありますように。
本神学校キリスト教研究所の紀要である『聖書と神学』35号が刊行されました。
本校教授・講師等の教育・研究活動から生まれた論文などを掲載致しました。

聖書と神学 (35):2024.10
戦いとしてのキリスト教教育 土肥研一
福音を伝えるロギアートマス福音書の文献学的考察 原口 尚彰
ヘブル語聖書校訂本をめぐって 深津容伸
神学の課題としての資本主義 福嶋 揚
教会教育に於ける「共有」の意義 古谷正仁
主に陰府下りを願う、渾身の執り成しの祈り―詩編88編 森 容子
「ヘブル語」入門-あるいは「旧約原典講読」序説- 飯郷友康
祭司メルキゼデグの永遠性の根拠について 山本隆久

本誌はキリスト教研究所会員に配布されます。本校卒業生で希望する方はどなたも会員となることができます。卒業生の皆さまはこの機会にぜひご入会ください。会費は年1,000円です(学校の年度)。入会申し込み者には本誌と共に郵便振替用紙をお送りしますので、ご送金ください。入会申し込みは日本聖書神学校まで、郵便、メール、ファックスでお願いいたします。

なお、会員以外の方には頒布価格 1,000円 送料込みでお頒けします。『聖書と神学』はこちら(書籍販売コーナー)でお求めいただけます。

入会申し込み
日本聖書神学校
住所:〒161-0033 東京都新宿区下落合3-14-16
E-mail: jbts@jbts.ac.jp
Fax: 03‐3951‐3044

『聖書と神学』バックナンバー

『聖書と神学』のバックナンバーは、頒布価格 1,000円 送料込みでお頒けします。
※『聖書と神学』バックナンバーはこちら(書籍販売コーナー)でお求めいただけます。

日本聖書神学校
住所:〒161-0033東京都新宿区下落合3-14-16
E-mail: jbts@jbts.ac.jp
Fax: 03‐3951‐3044

聖書と神学 (34):2023.10 特集
旧約聖書釈義に向けての一考察 深津 容伸
辞世の言葉としての第2テモテ書 原口 尚彰
『おそれとおののき』におけるキェルケゴールの信仰理解への神学的考察 山本 隆久
物語批評で見るマルコ福音書の女性たち : 大祭司の中庭の女中の働き 湊 理恵
神の国と教会と私たち(下) 茶屋 明郎

聖書と神学 (33):2022.10 特集「信仰と身体」
「身体」をどのように描くかー「ペルトゥアの殉教」をめぐって 柳下 明子
メタファーとしての譬えーヨハネによる福音書における譬え(Bild)と譬え話(Gleichnis)についての釈義的・神学的考察 原口 尚彰
生涯教育としてのキリスト教教育 土肥 研一
共なる「物語」を紡ぐために-韓国民主化闘争における日韓キリスト者の連帯に学ぶ 大久保 正禎
神の国の教会と私たち(上) 茶屋 明郎

聖書と神学 (32):2021.10 特集「21世紀の聖書」
イスカリオテのユダ : 別訳の意義 菅原 裕治
聖書の教会的な釈義 : ロバート・ジェンソンにおける聖書解釈の一考察 細井 茂徳
文学としての聖書 深津 容伸
旧約聖書と21世紀 : 現代における解釈の可能性をめぐって 小林 祥人
ルカによる福音書におけるイエスの死の意味 : 最後の晩餐との関係を中心に 本多 峰子
奴隷であった民に語られた十戒の意味 山本 隆久
宣教による対話 : 先住民アイヌと国家の間(はざま)での宣教活動(後編) 神保 望
近代日本における国家と宗教(後編) 篠崎 勲

聖書と神学 (31):2020.9 特集「宗教と国家」
アジールから見るキリシタン時代 小友 睦
宣教による対話 : 先住民アイヌと国家の間(はざま)での宣教活動(前編) 神保 望
近代国家における国家と宗教(前編) 篠崎 勲
オープン神論とオープン神義論 本多 峰子
由木康とその時代 戒能 信生
教会形成と宣教に向かうリタージカル・フォーメーション 荒瀬 牧彦
日本のプロテスタント教会のパンデミック対応を考える 柳下 明子
『聖書と神学』の刊行に尽力された郷義孝先生 神保 望

聖書と神学 (30):2018.7 特集「信仰と抵抗」
無学な普通の人の抵抗運動と信仰 : ドイツにおける反ナチス市民運動について再考 小友 睦
新渡戸稲造の”Bushido”における近代日本の国家主義に対する批判について 松脇 達朗
環境問題と闘うキリスト教の形成 郷 義孝
今日のキリスト教葬儀における諸問題 : 宣教の課題としての「死後のこと」 篠崎 勲
ユダヤ教のホロコースト後の神義論 本多 峰子
『原理講論』序章、冒頭部の思考形態と福音理解 山本 隆久

聖書と神学 (29):2017.7 特集「寛容について」
近代宗教的寛容思想の出現 : ピエール・ベールの寛容思想 小友 睦
ジョン・ロックの「寛容についての書簡」に関する一考察 : 宗教改革がもたらした新たな社会構造 山本 隆久
キリシタン遺産にかいまみる不寛容 樋口 洋一
寛容な世界と宗教多元論 郷 義孝
懐疑主義神義論 本多 峰子
小さな人形が教えてくれること : 寛容な態度について 柳下 明子

聖書と神学 (28):2016.7 創立70周年特集号「父権制とキリスト教-父権制なしでキリスト教はどう変わるか?」
心動かす神、共に痛むキリスト : 子宮で憐れむ神への一考察 友野 富美子
福音書の脱父権主義性についての再考 本多 峰子
フェミニズム神学からの父権制批判について 山本 隆久
父権制なしにキリスト教は可能か? 郷 義孝
詩編22の神学 : なぜ嘆きは賛美に変わるのか 土肥 研一
古代の教会のディアコニッセ(女性ディアコノス) 柳下 明子
日本組合基督教会の特質 : 新島襄と海老名弾正のキリスト教受容に遡って 戒能 信生
応報から修復ヘ : 「修復的司法」が神学と教会にもたらす可能性 小友 睦
愛は非偽善 : ローマ書12章9-21節の釈義 山野 貴彦

聖書と神学 (27):2015.7 特集「キリスト教と偏見」
旧新約聖書における人間のルーツの課題 樋口 洋一
イエス時代の社会の偏見とイエス 本多 峰子
風評被害と宗教者であること 郷 義孝
日本における人身御供伝説から見た「イサクの奉献」(試論) 山本 隆久
ディダスカリアにおけるやもめ 柳下 明子
書評 マーク・C. テイラー著、須藤孝也訳『神の後にⅠ、Ⅱ』 郷 義孝

聖書と神学 (26):2014.7 特集「ポストコロニアル神学と3.11以降の神学」
金井為一郎とその時代 戒能 信生
脱西洋主義と神義論 本多 峰子
在日インドネシア人教会大洗ベツレヘム教会の高台移転計画について : ポストコロニアルな神学的取り組みとして 山本 隆久
福島以降とポスト・コロニアル神学 : 「社会的福音運動」を巡って 郷 義孝
もやめかディアコニッセか : ヨアンネス・クリュソストモスのコンスタンティノポリスでの経験から 柳下 明子
戦時期「国体」思想と「日本的イギリス」(中編) 大久保 正禎
ジョン・キーブル著、今橋朗編・訳『光射す途へと : 教会暦による信仰詩集』 柴崎 聰

聖書と神学 (25):2013.7 特集「「死生観」-3.11を超えて」
新約聖書の死生観(「金持ちとラザロの譬え」を中心に) 本多 峰子
愛なる神の愛の中で : 愛の観点からのイエスの行動理解 山本 隆久
老い、死、死後の生と信仰 郷 義孝
通り過ぎる主 : 時と永遠 : 出エジプト記33章18~23節 稲垣 千世
環境倫理とキリスト教 : キリスト教の緑化を目指して(後編) 小友 睦
戦時期「国体」思想と「日本的キリスト教」(前編) 大久保 正禎
やもめの地位 : ヨアンネス・クリュソストモスの結婚理解から 柳下 明子
ChildishとChildlike : 今日における、我が国のキリスト教教育の課題を考える 古谷 正仁

聖書と神学 (24):2012.7 特集「「神義論」-3.11を超えて」
詩編における苦難からの解放 : 神への抗弁をめぐって 小林 祥人
新約聖書の神義論 : イエスの福音と宣教 本多 峰子
愛なる神についての護教論 : 被災地の縁辺部より 山本 隆久
環境倫理とキリスト教 : キリスト教の緑化を目指して(前篇) 小友 睦
使徒伝承にみるやもめの働きの理解 : 「手を置く」ことの意味から 柳下 明子
キリスト教の土着化をめぐる一考察 郷 義孝

聖書と神学 (23) 2011.7
イエスの譬えにおける「奴隷」の意味 本多 峰子
テルトゥリアヌスにおける「やもめ」 柳下 明子
「キリストのからだ」における伝道 : 福島後の神学と宣教論 : イエス・キリストに体現された愛の形の宣教と伝道 郷 義孝
ゲルト・リューデマンの復活論争に関する一考察 山本 隆久
教会の教育力の源泉を探る 古谷 正仁
クレッカー宣教師と旧日本福音教会 吉田 明弘
書評 レスリー・ニュービギン著『宣教学入門』 土肥 研一
書評 Daniel J. Harrington, Paul on the Mystery of Israel 鈴木 脩平